ごぶざき(囲碁教室)

これから囲碁を始めて
初段を目指す囲碁講座

≪ 入門から初段を目指す囲碁講座 ≫ 級位者の対局を徹底解説













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    はじめに

    日頃から囲碁の普及に携わっていただいている方には深く敬意を表します。
    先生それぞれに指導法は違いますが、日本の伝統文化である囲碁を未来へ伝承するために、並々ならぬ努力を重ねておられることは重々承知いたしております。
    しかしながら、その指導法によって、生徒の囲碁人生は大きく左右されることになるのです。


    初心者・級位者が碁会所の高段者に教わる問題点

    碁会所にいる高段者は、どこに打ったら良いか「打つ手」を教える。
    教科書が用意されたテクニック(詰碁や手筋)の授業であれば良いが、戦術の授業であれば、百害あって一利なし。
    生徒の棋力に関係なく、教える人の価値観を押し付ける行為であり、生徒を混乱させるだけ。
    教えている先生は、生徒に「勝つためにはどこに打ったら良いか」を提示しているつもりだろうが、そもそも「勝つ打ち方」など存在しない。
    「勝つ打ち方」を覚えると、一時的には勝ちやすくなるが、長期的な視点で見ると上達がストップする。
    なぜなら「勝つ打ち方」と「我流」は同じことだからである。


    初心者・級位者に何を教えるべきか

    私は、生徒一人ひとりの棋力を分析し、その人の長所と短所を正確に把握している。
    「戦術」「テクニック」「大局観」について、それぞれ査定(棋力分析)を行い、生徒に「戦術は○級」「テクニックは○級」「大局観は○級」であることを提示する。
    そして、何をどうすれば評価が上がるのか、「戦術」「テクニック」「大局観」について、それぞれ具体的な課題と目標と勉強法を提示する。

    私の授業では、どこに打ったら良いか「打つ手」を教えたりはしない。
    あくまで、その人(生徒)に合った「考え方」を教える。
    教科書に書いてあることであっても、生徒の棋力によっては、教えてはいけないことがある。
    たとえ「正しい」ことであっても、生徒が「正しいことを正しい」と理解できるようになるまでは、教えてはいけない。
    なぜなら、我流の道へ踏み出すきっかけを与えることになるからである。
    初心者・級位者に囲碁を教える時は、できる限り碁盤を単純化しなければならない。

    囲碁を始めた方が上達すると、面白さがわかるようになり、勝ちたいという意識が強くなる。
    でも、指導者は「勝つ打ち方」を教えてはいけない。
    あくまでも「上達する打ち方」を教え続けなければならない。
    なぜなら「勝つ打ち方」などそもそも存在しないのであって、「勝つ打ち方」=「我流」だからである。
    じゃあ、「勝つ打ち方」を学ばずして勝つためにはどうしたら良いか。


    勝つためにはどうしたら良いか

    「勝つ打ち方」をとがめる術を学べば良い。
    ただし、完璧にとがめるには六段以上の棋力が必要である。
    でも「カタチ(形)」を意識するだけでも実戦で役に立つ。
    とりあえず威嚇するぐらいのことはできる。
    10級程度の方であっても、実戦では、あまりあと先を考えずに「カタチ(形)」を意識して打ったらいい。
    結果は二の次。

    実戦では「勝とう勝とう」と思わずに「相手に自由に打たせてあげよう」というおおらかな気持ちを持って臨みたい。
    相手の「勝ちたい」という心理を逆手に取って、自分は「カタチ(形)」で勝負する。
    つまり、とがめれば良いだけの話。
    勝つために必死に「モガク」のではなく、「カタチ(形)」を覚えれば、自然と勝てるようになる。

    具体的には「戦術でとがめる方法」と「テクニックでとがめる方法」がある。
    どちらの方法も、相手の「カタチ(形)」の不備を突く、または、相手の「カタチ(形)」を崩すこと。
    「カタチ(形)」の急所さえ見えれば、一撃(1手目)は誰でも打てる。
    まれに、一撃で効果が期待できることもあるが、多くの場合は、その後(2手目以降)の打ち方が問われる。


    鴻鵠の志を持って

    囲碁が強くなりたいのなら、自分の意思を強く持つこと。
    正解は誰にもわからない。
    往々にして、みんな遠回りをして、モガキながら強くなる。
    ただし、目先の勝ちにこだわる人は強くなれない。
    いかに、将来的な大きな目標を持てるか。

    私の教室は「5級」を目指すことが目標であり、私に「5級」と認定されれば、めでたく卒業となる。
    人間社会で言えば、中学校を卒業したイメージ。
    やっと義務教育を終えて、どうにかこうにか囲碁の体を成すまでに上達できたというレベル。
    「ようやくスタート地点に立った」と思ってほしい。
    そもそも「5級」になれなければ「趣味の世界」で囲碁を楽しむという選択肢すらない。
    なぜなら、打ってくれる相手がいないから。
    もっと具体的なイメージで「5級」を説明すると、
    ・アマ高段者に対して置碁で真剣勝負ができる。
    ・碁会所に行くと(それなりの棋力なので)歓迎される。
    ・囲碁大会に出場する機会が増える。
    ・初心者を指導する立場になれる。
    つまり「5級」になれなければ、深奥幽玄の趣きを感じることができない。
    さらに「初段」になって初めて、まわりの人から「碁打ち」として認められる。
    だから、碁を始めた人はみんな「初段」を目指す。
    でも、5級に到達した人であっても「初段」になれるのは、せいぜい10〜20人に1人ぐらい。
    私が今まで見てきた、なんとなくの数字だけど。
    それだけ狭き門だということ。
    厳しいことを言うようだけど「5級」になるまでは「勝つこと」を考えてはいけない。
    そもそも、スタート地点にまだ立っていないのだから。
    碁を打つときは「勝ち負け」ではなく「碁の内容」にこだわること。
    「勝つこと」を考えると上達しない。
    だから、強くなりたいのなら、碁会所で習ってはいけない。
    対局相手の言うことも、高段者の言うことも聞いてはいけない。
    碁会所にいる人は、みんな「勝つ方法」を教えるから。
    「勝つ方法」=「我流」であることを肝に銘じてほしい。

    私の授業は必ずビデオで撮影し、生徒は自分が受けた授業を何度も見直すことができる。
    私が「戦術」の授業で話をしていることは「5級」になるための授業ではない。
    「六段の考え方」をわかりやすく教えている。
    だから生徒には、授業のビデオを何回も見るようにアドバイスする。
    私が授業でしゃべっている一言一言を暗記するまで、ビデオを見続けてほしい。
    「戦術」について言えば「六段の考え方」を学ぶことが、一番の上達法である。
    「勝つ方法(我流)」は一切教えない。
    確かに「我流」は時として「武器」となり「勝つ手段」となるが、決して「美しいカタチ(形)」ではない。
    囲碁用語を使えば「我流」のことを「スジワル(筋悪)(筋が悪い)」と言う。
    「勝つためには手段を選ばず」といったイメージであって、時と場合によっては「最善の策」になるかもしれない。
    でも、少なくとも「5級」になるまでは「石のカタチ(形)の美しさ」だけを追求しなければ「初段」への道は開けない。
    もっと言えば「石のカタチ(形)の美しさ」をあきらめて「我流(勝つ手段)=スジワル(筋悪)」の誘惑に負けた時、その人の棋力はストップする。

    生徒が碁のおもしろさを理解し始めたら、指導者としてこれほどうれしいことはない。
    しかし、同時に、生徒の「勝ちたい」という気持ちを、どうやってコントロールするか、指導者としての資質が問われる。
    私は生徒に常々「碁を一生続けてほしい」と声をかける。
    でも、その真意が生徒に伝わる日は、おそらく10年先、20年先になるのかもしれない。





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